台湾で【日本精神】を知る vol.5

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2024年8月、台湾人の友人の誘いで台湾を旅してきました。
旅のテーマは【日本精神を知る】ということ。友人から一通のメッセージを頂きました。

世界一の親日国台湾。
台湾は東日本大震災の際、世界で一番早く救援隊を派遣してくれ、また震災後に台湾だけで250億円(全世界から600億円強)という、世界一の義援金を出した国です。
なぜ台湾は日本にこんなに心を寄せてくれるのか?
また、台湾で使われていた「日本精神」とは、どんな意味のものか、このツアーでかつて台湾のために命をかけて尽くした多くの日本の先人たちの史跡を通じ、その息吹を感じ、次の日本を担っていく私たちの使命を学びたいと思います。

今回の旅は、特別な台湾ツアーになります。
井の中の蛙大海を知らずと言いますが、歴史はさまざまな視点からアプローチすると実像が見え、知らなかった事が分かります。

台湾で神様として祀られた日本人

台湾南部の台南市にある鎮安堂【飛虎将軍(ひこうしょうぐん)】に、日本軍人の杉浦茂峰(すぎうら しげみね/茨城県水戸市出身)が祀られている廟があります。
※廟とは、聖堂や先祖を霊を祀るなどところ。仏教における仏壇のようなものでしょうか。廟で有名と言えば[孔子廟]があります。
※「飛虎」は戦闘機を意味し、「将軍」は杉浦茂峰氏への尊称です。

鎮安堂・飛虎将軍パンフレット(一部引用しています)

彼は21歳と若く日本海軍の兵曹長を務め、零式艦上戦闘機三二型(零戦)に搭乗していたパイロット。米軍はフィリピン攻略作戦の前哨戦として、台湾各地に空襲を行っていました。1944年10月12日午前7時19分、米軍機グラマンF6Fが台南に襲来。迎撃すべく杉浦氏が搭乗する零式戦闘機も応戦しました。空中戦の末、数に勝る米軍機が優勢の状況。杉浦機も敵弾を受け尾翼より発火したそうで機体が急降下すると「海尾寮」という集落が見えました。

『今飛び降りたら、自分は助かるかも知れない。しかし何百戸という家屋が焼かれるだろう・・・』すると、機首は上がり、集落の東側の畑や養殖地に向け飛び去ったそうです。

その後、戦闘機は空中で爆発しましたが杉浦はパラシュートで脱出。不幸にも米軍機に見つかり機銃掃射を浴び、パラシュートは破れたそうで、早い速度で地面に叩き落ちました。
そして現在の鎮安堂・飛虎将軍廟付近に落ちて戦死しました。戦闘後、杉浦と書かれた軍靴が分かったため、分隊長森山敏夫大尉の協力により、「杉浦茂峰」だと判明しました。

幽霊となった杉浦茂峰

終戦から数年が経ち、集落の人々が白い帽子と白い服を着た人物が、養殖地付近を徘徊する姿を目撃します。はじめは魚を盗みにきた盗人と思われたそうですが、追いかけると姿を消すという奇妙なことが起こります。その後も怪奇現象を見た人々が増え、白い帽子と服を着た日本の若い海軍軍人が夢枕に立ち夢に出てきたり、また同じ夢を見たという者が数人名乗り出たため人々は恐れます。
ある日、海尾朝皇宮の神「保生大帝」にお尋ねしたら、戦時中の死者の亡霊だと言うことでした。その後人々は戦時中に集落を戦火から救うため、犠牲になった戦闘機パイロットではないかと結論を出します。

恩人に感謝を捧げる方法はないかと議論し、祠を建設し恩を顕彰することになりました。1971年に杉浦茂峰を祀る廟「飛虎将軍」を建設。当初は日本文化に対する厳しい弾圧があったそうで、日本軍人を祀ることに市が不快だったそうですが、住民の努力で守り続け4坪程の祠でしたが、遠方から参拝者も多く日本からも参詣者も絶えないため、1993年朝皇宮管理委員会の提案で小さな祠から廟の敷地を50坪に拡張し再建。今では管理員会に属した廟は日台交流に貢献しているそうです。

今回、台湾ツアー参加者と一緒に焼香と共に杉浦少尉が生前好きだったタバコもお供えしました。廟を管理する方より伺ったところ、朝は国家「君が代」の曲を流し、午後には軍歌として採用された万葉集の「海ゆかば」を流しているそうです。

「飛虎将軍」の神輿を寄贈した中村文昭さん

この飛虎将軍の事実を知った講演家の中村文昭さんは、飛虎将軍廟の話を詳しく聞いているとある事実が発覚したそうです。
「祭りの際に飛虎将軍が乗るお神輿がない」ということ。それを聞いた中村文昭さんは、自分が廟にお神輿を届けさせて欲しいと志願します。そしてお神輿奉納プロジェクトを立ち上げました。全国各地でイベントを開催し共感頂いた皆様からの寄付金によってお神輿を製作し2015年3月10日にお神輿を奉納。4月30日には飛虎将軍の初のお祭りツアーを組みました。


担ぐ度に音がなる。チャリンチャリンと音がなる。その音が求めあうより与え合う心の音。
そんな想いを込めてお神輿の飾りには、東北で募らせて頂いた5円玉を使用しております。
また、お神輿の担ぎ棒は、飛虎将軍の出身地より寄贈頂いたそうです。(クロフネカンパニーHPより引用

現地の倉庫に保管されているお神輿を見る事ができました。すると2016年にお神輿と共に、杉浦さんの出身地水戸へ里帰りを企画し、慰霊祭を企画したときに不思議なことが起きたそうです。

その時の事を友人に伺ったのですが、水戸へ向かう新幹線に乗り込んだとき、なんと富士山が見えるスポットで新幹線が1分程停車したそうですが、無事時間通りに目的地に到着したとのことでした。きっと里帰りした杉浦さんは富士山をみたかったのだろうと思いました。

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