台湾で【日本精神】を知る vol.4

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2024年8月、台湾人の友人の誘いで台湾を旅してきました。
旅のテーマは【日本精神を知る】ということ。友人から一通のメッセージを頂きました。

世界一の親日国台湾。
台湾は東日本大震災の際、世界で一番早く救援隊を派遣してくれ、また震災後に台湾だけで250億円(全世界から600億円強)という、世界一の義援金を出した国です。
なぜ台湾は日本にこんなに心を寄せてくれるのか?
また、台湾で使われていた「日本精神」とは、どんな意味のものか、このツアーでかつて台湾のために命をかけて尽くした多くの日本の先人たちの史跡を通じ、その息吹を感じ、次の日本を担っていく私たちの使命を学びたいと思います。

今回の旅は、特別な台湾ツアーになります。
井の中の蛙大海を知らずと言いますが、歴史はさまざまな視点からアプローチすると実像が見え、知らなかった事が分かります。

映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」について

映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」の舞台になった嘉義市に滞在しました。
街中にモニュメントがあり、街のシンボルになっています。

宿泊のホテルロビーにもKANOモニュメントがありました。台湾は野球が盛んで有名ですよね。


日本統治時代の台湾の嘉義市に実在した嘉義農林学校、通称はカノウ。
実話が映画化され、永瀬正敏さんが主演で台湾でヒットした映画です。

当時の台湾は近代化整備が進みつつあり活気に満ちていた一方で、農村は治水対策が不十分で、台風のたびに甚大な被害を受けていました。
嘉義農林野球部が活躍した同じ頃、台南にダムを作り英雄となった八田與一技師(映画では、大沢たかおさんが演じています)がいました。

ダムが完成ことで、野球部の人たちが奮起することになります。「不可能を可能になる」ことに感銘を受けたそうです。一回も勝ったことがない弱小チームを強豪に育て上げたのは野球部新任監督の近藤兵太郎(四国の名門・松山商出身)によるスパルタ式訓練により、部員たちの心には徐々に火がつき、甲子園出場への夢が芽生えていきました。

近藤監督は日本人のみを贔屓することなく、守備に長けた日本人、打撃に長けた漢人、韋駄天の如く足の速い高砂族(先住民)の選手たちを起用しバランスの良いチームを作り上げます。
近藤兵太郎監督は、民族に関係なく「適材」を「適所」で起用することにこだわりました。

そして嘉農野球部の快進撃は止まらず、全島優勝。勝つと台湾中の人たちに自信が芽生えます。1931年、台湾代表として全国高校野球選手権に出場し、準優勝を果たします。決してあきらめないプレイスタイルで日本中の注目を集めたそうです。その後強豪にのし上がった嘉農野球部は春夏合わせて5回、甲子園に出場しました。素晴らしい栄光の時を迎えました。
現在、嘉義農林高校は、国立嘉義大学となり今も野球部は練習に励んでいるそうです。

宿泊地の嘉義市内の夜市に行って来ました。
露店では様々な商品を置いています。夕食を頂いた後だったためタピオカミルクティーを頂き、街をブラブラ楽しみ、とても賑やかな夜になりました。

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