なぜ神社に行くのか

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去った5月、友人の勧めもあり東京人形町にある「小綱神社」へ行ってきました。

こじんまりとした神社ですが、金運・財運、強運・厄除けなどの強力なご利益もあるとされ、平日でも多くの参拝客が訪れる大人気の神社でした。

ふと疑問に思ったのが、なぜ神社に行くのでしょうか。


おそらく一番の理由は、超簡単。

【御利益を授かりたい】から!

神社について

成功している人は「〇〇神社」、「□□宮」や「△△寺」へ参拝しているとか聞きますよね。
歴史に名を残した将軍や大名、企業家や政治家など、昔から成功者たちは神社へ参拝してきました。

八百万の神々をお祀りする神聖な場所が「神社」

神社のイメージといえば、一般的に初詣やお祭り、七五三などの行事ごと、人生の節目などで訪れる場所でしょうか。

日本全国各地には、その地域によって様々な神々がお祀りされている申請な場所。
古来より日本人は生活の中で目に見えない大きな力を感じていました。それは岩や石、木や森、海や山、火や水、風や大地など自然に神々が宿るものとして祀られています。
そしてその祀られた場所には建物が建てられ、神社と呼ばれるようになりました。この神社を中心とした神々の信仰が神道です。

お参りには、手を合わせて神さまに感謝しお祈りをします。
そのお参りをする社殿の中央に安置されているのが、神鏡という鏡(カガミ)です。

スピリチュアルが好きな方は知っていると思いますが、神社で拝む対応となる偶像はありません。
鏡と向き合うことで自分の心をありのまま、包み隠さずに写し出すことを意味します。

そして「カガミ」から「我(ガ)」を取ると、「神(カミ)」になります。

「我(ガ)」が取れた鏡(カガミ)に映る私こそ神(カミ)そのものです。
神社で祈りや願いを一番聞いているのは自分、叶えるのも自分ということになります。

でも叶わないことが多いから、パワースポット巡りや神社へ行く方も多いと思います。
「叶うかどうかは知らないけれど、ひとまずお願いしておこう」と思うかもしれません。
叶わないということは、そこにはちゃんと理由があります。

神さまはひとりひとりの願いや祈りの声をちゃんと聞いているそうです。
あなたが不幸になることは望みませんから、叶うと不幸になってしまう望みは叶えない。

ただし、叶えるコツ(お参りしてはいけない時間帯、執着とか)があるらしいので、実践してこのブログで今後紹介していきたいと思いますのでお楽しみに♪

【吐くと叶う】について
「吐く」という文字から、「一(マイナス)」が無くなったとき、言ったことが「叶う」のです。
※追記【吐くと叶う】はづき虹映さん著書「毎日に奇蹟を起こす 魔法の言霊」より引用

沖縄の神社について

私が住んでいる沖縄には、神社が少なく馴染みがありません。
全国に8万社ありますが、県内には12社ほど(出典:沖縄県神社庁)で全国一少ないそうです。
ちなみに、全国のコンビニエンスストア店舗数は57,109軒(2021年)で、人口10万人あたり45.24軒。それより神社は多いんですね。※沖縄のコンビニ店舗数は771軒(2024年3月)となっています。

沖縄における神社の歴史を調べてみると琉球王国(1429年-1879年)が成立し、琉球王府の保護を受けてできた「琉球八社」と呼ばれる社殿が整えられています。そして本土と同じように神仏を受入れられていたようです。

琉球八社について
1.波上宮(なみのうえぐう):那覇市
2.天久宮(あめくぐう):那覇市
3.沖宮(おきのぐう):那覇市
4.安里八幡宮(あさとはちまんぐう):那覇市
5.末吉宮(すえよしぐう):那覇市
6.識名宮(しきなぐう):那覇市
7.普天間宮(ふてんまぐう):那覇市
8.金武宮(きんぐう):金武町

その他、宮古神社(宮古島市)、浮島神社(那覇市)、世持神社(那覇市)、沖縄神社(那覇市)があります。

その中で沖縄神社は全く馴染みがありませんが、実は皆さんが、よく知っている首里城正殿が神社になっていました。


お城がなぜ神社になっていたかと言うと明治維新後、琉球王国が滅亡し廃藩置県があり「沖縄県」になりました。急速に日本化が進められ首里城正殿は「沖縄神社」に置き換えられました。

しかし1945年戦禍ともに焼失し、戦後米軍統治時代の1950年「琉球大学」が開学したことにより首里城跡に再建できませんでした。
その後有志たちにより、沖縄神社仮神殿を那覇市首里の弁ヶ嶽入口の杜に建立されました。

沖縄県公文書館所蔵 空襲前の首里城(絵葉書の複製)

※首里城正殿 沖縄神社の絵葉書:写真には神社などで見かける石灯篭が配置されています。

琉球開闢(かいびゃく)七御嶽について

沖縄には御嶽(うたき)や拝所(うがんじゅ)と呼ばれる祈りや拝みの文化があります。琉球八社の社殿のような建物がありません。

そこには、霊石や香炉だけ置かれている場合などあります。有名な神の島と呼ばれる「久高島」は、一般の立ち入りが禁止されている御嶽や島のルールがあります。


琉球開闢(かいびゃく)神話の中で、沖縄の島々を建てた神アマミキヨが最初に降り立った場所が久高島とされ、その島からニライカナイと呼ばれる東方の海の彼方にある神々が住む理想郷があるとされています。

琉球神道ではマブイ(魂)が帰り、また生まれてくる場所で太陽はこの海上から昇り、西の海に沈むと、太陽は海に入り地底の洞窟から昇るとされています。琉球王国時代には歴代の国王が欠かさず参詣された島でもあります。

そのアマミキヨが作った聖地は「琉球開闢七御嶽」と呼ばれ、今でも大切な聖地として残されてきました。

琉球開闢七御嶽:球開闢の創造神「アマミキヨ」によって造られた御嶽
1.安須森御嶽(あすむぃうたき):国頭村辺戸区(大石林山)
2.クバの御嶽(くばうたき):今帰仁村今帰仁城内
3.斎場御嶽(せーふぁうたき):南城市知念
4.薮薩御嶽(やぶさつうたき):南城市玉城
5.雨つづ天つぎ御嶽(あまつづてんつぎうたき):南城市玉城、玉城城内
6.クボー御嶽(くぼーうたき):南城市知念(久高島)
7.首里真玉森御嶽(しゅいまだむいうたき):首里城内

この御嶽の紹介も簡単な内容ですので、今後足を運んで深堀したいと思います。そちらの更新もお楽しみに♪