2024年8月、台湾人の友人の誘いで台湾を旅してきました。
旅のテーマは【日本精神を知る】ということ。友人から一通のメッセージを頂きました。
世界一の親日国台湾。
台湾は東日本大震災の際、世界で一番早く救援隊を派遣してくれ、また震災後に台湾だけで250億円(全世界から600億円強)という、世界一の義援金を出した国です。
『なぜ台湾は日本にこんなに心を寄せてくれるのか?』
また、台湾で使われていた「日本精神」とは、どんな意味のものか、このツアーでかつて台湾のために命をかけて尽くした多くの日本の先人たちの史跡を通じ、その息吹を感じ、次の日本を担っていく私たちの使命を学びたいと思います。
今回の旅は、特別な台湾ツアーになります。
井の中の蛙大海を知らずと言いますが、歴史はさまざまな視点からアプローチすると実像が見え、知らなかった事が分かります。
天空の城ラピュタと呼ばれている「安平樹屋」
台南の中でも古都として有名でノスタルジックな街「安平」は、オランダ人が貿易港として開いたという歴史を持っています。
人気観光スポットになっている【安平樹屋】は、ガジュマルが覆い尽くされた倉庫跡で、イギリス貿易会社「德記洋行」によって建てられたそうです。
日本統治時代アヘンが日本の専売特許になると外国商社は安平を離れ、その後「大日本塩業株式会社」の出張所倉庫になりましたが、統治が終わると廃墟となりました。
今では外壁と骨組み、1本のガジュマルが絡み残った倉庫跡ですが、人気スポットになり見学通路が整備され、天空の城ラピュタやアンコールワット遺跡のような幻想的な雰囲気を感じることができます。
カフェの樹屋咖啡では、アイスやクラフトビールなど販売されていました。
台湾の英雄、鄭成功について
台湾の英雄として有名な鄭成功(ていせいこう)、世界史で名前を聞いた覚えはありましたが、詳しく知らなかったです・・・鄭成功は17世紀にオランダ勢力を追い払った勇敢な戦士で、国姓爺と親しまれている偉人、蒋介石や孫文と並んで三大国父の一人と言われています。
鄭成功はダブル(昔はハーフ)のルーツがあり、父の鄭芝龍は明王朝の福建省泉州府の人で平戸老一官と称し、平戸藩主松浦隆信に可愛がられ川内浦(現在の長崎県平戸市川内町字川内浦)に住んでいたそうで、日本人の田川マツとの間に出来た男の子が鄭成功(日本名は田川福松)でした。
7歳まで長崎の平戸で過ごしますがその後、父の故郷へ。鄭一族は泉州府の厦門島、金門島などを根拠地に密貿易を行っており、王府軍や商売敵との抗争のために私兵を擁して武力を持っていました。
明王朝滅亡後はオランダ支配下の台湾を制圧し、台湾開発を促進したことから「開土王公」と呼ばれ、台湾人に尊敬されています。明王朝復興を願い大陸の清と戦い続けましたが39歳に病没し王朝復興の夢は叶いませんでした。
鄭成功の話は浄瑠璃や歌舞伎になり、近松門左衛門の「国姓爺合戦」のモデルとして有名です。
また台湾開発を行った鄭成功は、農業投資を進め例えば原住民に牛と農具を与え、農耕技術を教える計画を立て原住民の村を訪れた彼を歓迎しようと群衆が集まっていた原住民に、明のガウンと帽子を与え、タバコを贈ったという逸話があるそうです。
【一部引用:鄭成功記念館、Wikipediaより】
台湾人が日本を好きな理由はこの鄭成功の活躍が残っているからかも知れませんね。
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