台湾で【日本精神】を知る vol.1

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2024年8月、台湾人の友人の誘いで台湾を旅してきました。
旅のテーマは【日本精神を知る】ということ。友人から一通のメッセージを頂きました。

世界一の親日国台湾。
台湾は東日本大震災の際、世界で一番早く救援隊を派遣してくれ、また震災後に台湾だけで250億円(全世界から600億円強)という、世界一の義援金を出した国です。
『なぜ台湾は日本にこんなに心を寄せてくれるのか?』
また、台湾で使われていた「日本精神」とは、どんな意味のものか、このツアーでかつて台湾のために命をかけて尽くした多くの日本の先人たちの史跡を通じ、その息吹を感じ、次の日本を担っていく私たちの使命を学びたいと思います。

今回の旅は、特別な台湾ツアーになります。
井の中の蛙大海を知らずと言いますが、歴史はさまざまな視点からアプローチすると実像が見え、知らなかった事が分かります。

日本を知るということ

親日で有名な台湾。人口2300万人のうち年間約500万人が訪日旅行をしています。
それほどまでに日本を愛している台湾。親日国と言われる日本委任統治を受けたパラオやタイ、インドネシアと比べても圧倒的に日本好きなことが分かります。

台湾人の友人は、先住民の出身で幼い頃からおじぃちゃんやおばあゃんから日本の素晴らしさを聴いて育った3世になります。
台湾の先住民のご先祖様は東南アジアなどのマレー・ポリネシアン系だとあまり知られていません。そして日本人と同じで土地神様がいると考え、八百万の神を信じているそうです。

台湾は中国が明の時代、中華文明の教化の及ばない「化外の地」として、明は台湾の領有に関心を持っていません。その頃ヨーロッパ諸国は東南アジアを植民地化を進めていて、台湾を発見したポルトガルはイリヤ・フォルモサ「美麗島」と命名 ※諸説ありこの島は【沖縄だった説もあります。】

その後スペインに約15年、オランダに38年ほど統治され、中国大陸一部の渡来人が入植する212年の間、清国が台湾を支配しました。

日清戦争が勃発し日本の勝利したことで台湾が割譲され、1895年から1945年までの50年間日本に統治されました。歴史の教育では日本が植民地にして搾取したと言われることがありますが、台湾はアジアでも貧しい地域でした。

当時の台湾は干ばつに見舞われなすすべもなく、人口の4分の1にあたる60万人以上の農民が貧困生活を強いられていました。沿岸部の土地も塩害によって農作物がほとんど育たず大部分が不毛の地。疫病がはびこり16万人以上のアヘン常習者がいたそうです。

荒廃した台湾を日本が搾取しているのではなく、誰も近寄りたくない場所だったそうです。
台湾人の友人は、その時代に日本教育を受けた台湾のおじぃちゃんやおばあゃんの話を聴く活動をしています。『日本の先生たちは素晴らしかった。そして人格だった』と話したそうです。日本の先人たちは台湾を大きく変えてくれた恩人になりました。

第二次世界大戦後(日本は当時『大東亜戦争』と呼んでいました)、台湾は中華民国として存在しています。

日本の神社が残る桃園神社

旅のはじまりは、桃園国際空港近くにある【桃園神社】でした。

日本統治時代に『一街庄一社』政策により、台湾に多くの神社が200前後立てられましたが第二次世界大戦戦後、国民党政府が中国大陸からやってきたときに日本統治時代の建物や文化を除去する動きがありました。

1947年、国民党政府が台湾人知識人らを弾圧した「二・二八事件」が発生。台湾全土に戒厳令が敷かれると、忠烈祠(辛亥革命を始めとする中華民国建国および革命、中国大陸での日中戦争などにおいて戦没した中国革命家や中国兵士の英霊を祀る祠)となった旧神社は台湾の一部の人々から忌み嫌われる存在になり、1972年中華民国と日本が断交すると状況は一変「日本統治の痕跡を消す」として、ほとんどが中華様式に建て替えられたり、石碑にある「日本」の文字を消すなど、歴史の改ざんも行われました。

桃園神社もその影響をうけ、放置されていたそうですが1986年に世論と学術界の人々の討論が巻き起こり再建され、1994年に国家三級古跡(文化財)に指定。人気スポットになった桃園神社は「もっと神社らしい雰囲気を出したい」と、日本の神社に協力を訴えたところ、北海道の神社の協力のもと、大国主神、天照大神、豊受大神の3神の分霊を迎えました。

2022年9月から社務所を新本殿として77年ぶりに「桃園神社」が再興され、今では桃園市民によって大切に残されています。【nippon.comより一部引用】

当日は、縁日のような出店もあり日本の雰囲気を感じることが出来ました。
神社を残している台湾の方に感謝です。

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