かえる隊長、生き返ったお話し

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かえる隊長

かえる隊長 アキオ
40代のサラリーマンです。妻と子供が3人います。趣味は歴史探究や博物館めぐり、美術鑑賞、バスケ観戦。そして自己投資(心の学び、マインドフルネス、自己啓発などの情報集め)にハマってます。

プロフィールとは別に僕が【かえる隊長】になるお話しです。
プロフィール画像は子ども用の『かえる帽』で敬礼!戦場から戻ってきた帰還兵・・・って感じでしょうか。

苦しい幼少時代

未熟児で生まれた【かえる隊長】は、家族の愛を受けながらすくすくと成長しました。
しかし、幼少期に小児喘息を発症。

小学生になると入退院を繰り返し、学校の勉強についていけなくなりました。
体調がすぐれない日は保健室のベッドで横になり、ただ空を流れる雲をぼんやりと眺めていた記憶ばかりが蘇ります。

中学に進学すると、自信がなくネガティブ思考に陥るようになりました。
その大きな要因は父親の存在。自由奔放でお金遣いが荒く、酒を飲んでは酔って帰り、母親に暴力を振るうこともありました。

家庭の中に安心できる居場所はなく、息苦しさを感じる日々。
もしかすると、苦しい想いが【喘息】につながったのかも知れません。

生き方を考え直した『蘇生体験』

1995年4月3日、私は「黄泉帰り」を経験しました。
世の中はバブル崩壊後の混乱に加え、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が起こり、重苦しい空気が漂っていたのを記憶しています。

4月2日は従妹の誕生日会があり、体調が万全ではなかったものの、みんなと笑い楽しい時間を過ごていました。
誕生会が終わったのは夜10時頃。帰宅後、軽い喘息の発作が起きました。
幼少期から喘息持ちだった私は、「軽い喘息なので、呼吸を落ちつけて寝れば、喘息は落ち着くだろう」と自分に言い聞かせて眠りにつきました。

ところがその夜は、いつもと違い発作はどんどん悪化。
呼吸は浅くなり、ゼイゼイという苦しげな音が響き、胸が締め付けられるようでした。
頭痛もひどくなっていき「もうダメかもしれない……」心の中でそう呟いた瞬間、ようやく病院へ行く決心がつきました。
車で20分ほどの距離は、酸素が薄れていく中で永遠に感じられました。

本当は病院に行くのが怖かったです。この思いは親に迷惑をかけたくない、治療費がかかるという申し訳なさがありました。
肩を上下させ、必死に呼吸を続け頭痛がつづく中、「早く寝て楽になりたい」と思っていました。病院に到着した時には意識が朦朧とし、診察室に入る間もなく緊急処置室へ運ばれました。そのとき安堵と眠気が混じる中、何が起こっているのか理解できないまま、意識が途切れました。
私の呼吸は止まり、心臓も動いていません。緊急治療室では心肺蘇生が行われ、私は生と死の境目にいました。

臨死体験で感じたこと

その時、様子を夢心地のような感覚で覚えています。
それは夢の中だったのかわかりませんが、蘇生されている自分を俯瞰で見つめる「もう一人の自分」がいました。手術室で自分が全裸にされた状況を「裸にされ恥ずかしい」という思春期ならではの思いがありました。

その後、これが臨死体験だと知りました。
その瞬間は、これまで生きてきた中で最も穏やかで気持ちの良い感覚は今でも忘れることができません。この体験は、まさに「黄泉帰り」。その間の記憶は一切ありません。

後に調べると、心停止から蘇生した人々の中には、死の淵にありながら完全に意識が途切れていたとは言えないという研究結果があることを知りました。

心停止に至り心肺蘇生(CPR)により蘇生した人を対象とする研究から、それらの人が死の淵にある時、全く意識がなかったとは言えないとする研究結果が、米国心臓協会(AHA)学術集会(Scientific Sessions 2022、11月5~7日、米シカゴ/バーチャル開催)で発表された。(https://www.carenet.com/news/general/hdn/55453より)

この体験は、まさに「黄泉帰り」。その間の記憶は一切ありません。
次に目が覚めた時、私は集中治療室(ICU)のベッドの上にいました。

呼吸が苦しく、気道を確保するために口から管が入れられていましたが、気持ち悪くて自分で抜いてしまいました。体調が落ち着き一般病棟に移った頃、母が面会に来てくれました。

母は、心肺停止で大変だったことや、呼吸が安定しなければ気管切開の手術が必要だったことを教えてくれました。「お金の心配をさせてごめんね。喘息を我慢しないで」と優しく言ってくれた母の言葉が心に響きました。
私の喘息という病気は、精神的な要因が大きく関わっていたと思います。
当時、家庭に安心できる居場所がなく、息苦しさを感じる日々を送っていました。その苦しさが喘息に繋がったのかもしれません。


この体験をキッカケに自信がなくネガティブだった僕は、「自分を大切にしよう」「がんばろう」と決意し高校受験に励み合格。15歳の少年は少しづつ自分に自信を持つことで、前に進む事ができました。

かえるは幸運を呼ぶ。

健康とお金で苦労した時代でしたが、今では楽しく幸せに過ごしています。

僕が【かえる隊長】とした理由は、かえるが神の使いとして「若返る」、「家に無事帰る」、「栄える」、「見違える」、「跳ね返る」、「蘇る」などとかけて、ご利益を紹介している神社があることが分かりました。

蘇生した僕は、まさに「蘇る(かえる)」ことができました。
これからも、自分の“わくわく”を探求していきます。

人生がうまくいかなくなったとき、人は原点に「かえる」と言いますよね。
うまくいかなくなったら、かえりましょう♪ ケロッ!とね。

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